カミーユ・コロー「モルトフォンテーヌの思い出」(1864年)
Corot, Jean-Baptiste-Camille"Souvenier de Mortefontaine"
パリ、ルーブル美術館蔵

コロー(1796〜1875年)の代表作品ともいえる絵。画面を包み込むかのような大きな木とアクセントの人物が、コロー独特の銀灰色のトーンによって夢のような世界を醸し出している。木の葉は霞のようであり、はしゃぐ子供たちと、木に向かって背伸びをしているのは若いお母さんだろうか。つる草の実か何かを取ろうとしているようだ。彼女らの描写は傍観的で、彼女らの楽しい気持ちの描写というよりは、その姿を優しく見つめるコローの目が描かれているようだ。当時の彼は68歳、生涯独身の身だったが、孫を見るような目で描いたのかも知れない。

この作品が描かれたのは1864年だが、コローの画風に大きな変化が起こったのは1850年頃の「朝、ニンフの踊り」からだ。それまでの明快な構成から、感情が大きな比重を占めるようになってくる。以後のモルトフォンテーヌの思い出」「ヴィル・ダヴレーの思い出」「カステルガンドルフォの思い出」・・・コローにとって目の前の景色は夢想の世界を描くための一つの題材にすぎないかのようだ。

画風に影響を与えたものは何だったのだろうか。一説には写真の影響と言われている。ヴァン・デーレン・コウクという人の説で、彼によれば、コローの後期の作品の特徴は当時発明後まもなかった写真を参考にしながら描いたのではないかというものだ。
例えば、このモルトフォンテーヌの思い出にも見られるように、煙るような樹の中にも一部の枝葉が際立って明確に描かれている表現は、写真の焦点深度(つまりそこだけピントが合っている)に由来しているのではないか、また、色彩に関しても色相や彩度よりも次第に明暗で描くようになるようになったのは、モノクロームしかなかった当時の写真に基づいて制作したためではないかということだ。(「風景画の光」藤田治彦、講談社、1989)

一方、対象を優しく見つめる姿勢は比較的容易に説明がつきそうだ。コローは1796年、パリに生まれた。母親は高級婦人帽専門店を営み、父は服地を商っていた。彼が26歳のとき彼の妹が病気で亡くなり、彼女にあてられていた年金がコローに与えられるようになったこともあり、父から画家になる許しを得た。生活の不安がないこと、そして家が裕福な婦人たちが出入りする店であったこと、さらに中学時代に5年ほど預けられた家で身についた自然への愛着といった少年時代の生活環境が、自然を優しく見つめる目となったのかも知れない。

コローの作品には木が主題となっている絵が多いように思う。タイトルはその土地の名をつけて「〜の思い出」となっているが・・・。あるいは絵の中の木はコローなのかも知れない。この絵でも木が子供たちを優しく包み込むかのようだ。

Souvenier de Mortefontaine
salon of 1864, canvas, Musee du Louvre,Paris.

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