彼岸花-scene-2


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この年、1999年以来4年ぶりに彼岸花を撮りました。

直接のきっかけは引っ越した先の地域では彼岸花がありふれていたからなのですが、今思えば最大の理由は身近な人が何人も亡くなってから多少の時間が流れたことにより彼岸花への抵抗が少なくなったことによります。

人は誰でもいつか死ぬものとはいえ、人の死に触れるたびに命とは何かを考えさせられます。特に自ら命を絶ってしまった人たちを思うときりがありません。私の場合は元上司と学生時代の友人の二人がそのようなことになってしまいました。しかも前者については原因の究明もなされないままです。そんな組織の中にいて何もできない後ろめたさが彼岸花から遠ざかっていた理由かもしれません。

しかし当時の真相が明らかになったからといって彼が帰ってくるわけではありません。また、組織(他人)が変わらないことに文句を言っていても始まらないのも事実です。だから、他人を批判するよりもまず自分に何ができるのかを考えながら少しずつ前に進んでいこうと思うようになりました。それは彼らの事件から多少の時が流れたこの年からのような気がします。

そんな中で向き合った彼岸花の写真は死のイメージにとらわれず、形のおもしろさや植物のエネルギーに注目したものとなりました。


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